> エピソード > ハイジャックから生還して、これからの命は与えられたものだと、つくづく気づきました。自分のためより他人の役に立って過ごしたいと思いました。(日野原重明)

ハイジャックから生還して、これからの命は与えられたものだと、つくづく気づきました。自分のためより他人の役に立って過ごしたいと思いました。(日野原重明)

<引用>

聖路加国際病院 名誉院長 日野原重明 『生き方上手 新訂版』(ハルメク 2013年)

「1970年3月、乗り合わせた飛行機が、「よど号」でした。・・機内で赤軍派の若者9人が、いきなり抜刀して、・・韓国の金浦空港に着陸して3晩4日、機内に拘禁されました。・・赤軍派は全員ダイナマイトを持参していました。・・相当なストレスだったはずですが、いま思い出そうとしても、あの恐怖感は、再現できません。・・どんな悲しみも肉体的な苦痛も、解消されると、もう痛みは実感できません。私が体験した、たくさんの悲しみや苦しみは、今となってみると、みな明るい悲しみ、明るい苦しみに変わっています。」

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<考察>

日野原さんは、58才でハイジャックから生還し、そこから先の人生を、自分のためより、むしろ他人の役に立って過ごしたいと思うようになったそうです。

悲しみも苦しみも、そのさなかはつらいけれど、「後」になって人生における意味がわかると語ります。

つらいことでも苦しいことでも、人生に無駄というものはないので、「体験」したことは、まちがいなくその人の強みになります。「後」になると、なるほどあれが、私をつくったんだと思えるわけで、それが齢を重ねる良さとおしえてくれます。

「いつの日か、いづこの場所かで、どなたかに、この受けました大きなお恵みの一部でも、お返し出来ればと願っております」と奥さまがハイジャックのお見舞いにお礼状をつづられたそうです。

「僕らは、本当によく働いたし、よく遊んだし、まわりにはいろんなことがあった。それはどんなに楽しかったのだろう、どんなにしあわせだったことだろう」と、日野原さんは語ります。周りへの感謝の気持ち、「ありがとう」という実感、与えられた命を返してゆくという思い。

日野原さんの言葉には、また新たな一日をもらったという感謝の思いを大切に、今日という日を生きるといいんだよ、と自然に明るくなる愛情があふれています。