> エピソード > 毎日の食卓には、魚、肉、野菜などの料理が並んでいます。あるとき、私の食事のために、犠牲になった魚たちが、私に語りかけていることに気づきました。(弁護士 西中努)

毎日の食卓には、魚、肉、野菜などの料理が並んでいます。あるとき、私の食事のために、犠牲になった魚たちが、私に語りかけていることに気づきました。(弁護士 西中努)

<引用>

弁護士 西中努「ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く」(ぱる出版 2015年)

「食卓の動植物は、全生命を私のために差し出し、なんの要求もせずに犠牲になってくれます。・・・けれども、私はどれほどのお返しが出来てきたでしょうか。・・・ハッと気づき、自省の念にかられました。・・・すこしでも、私は社会や人のお役に立たなくては・・・生きているということは、それだけで誰かに借りをつくっています。・・・私たちは、社会にお返しをしなくてはいけないのです。」

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<考察>

あるとき先輩から著者は、「あなたが、他からしてもらったことを思い出しては?」と問われました。

次々と恩人が、思い浮かびました。育ててくれた父や母、配偶者、子供たち、学校の先生や同級生、お医者さん、職場の上司や先輩、同僚、隣人、農家の人、漁師さん、太陽、空気、水などの自然の恵みなど。

では、「あなたは、それらの恩人にお返しをしたことは何ですか?」先輩に聞かれ、著者は返事に窮したそうです。私は、お世話になりっぱなしではなかったか、自分一人の力で生きていて、誰にも迷惑もかけずに自立してるつもりであっても、生きていること自体が借りをつくることなんだと理解したそうです。

きれいごとでなく社会にお返ししていくこと、自分のできることでいいから、すこしでも世の中に貢献していくことが自然の摂理なんだと思えてきます。