自分とは「創る」ものであって「探す」ものではない。それがわかったら、もう個性とか、本当の自分とか、自分に合った仕事とか、アホなことは考えないほうがいい。(養老孟司)
<引用>
養老孟司「無思想の発見」(ちくま新書 2005年)
「どんな作品になるか、わかりゃしないのだが、ともかくできそうな自分を「創ってみる」しかない。・・・あらかじめ自分があると、いまの若者なら考えるかもしれないが、・・・残念ながら、後から自分ができてくるものです。」
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<考察>
そのようにして著者は「自分」を創った、あるいは「自分」を更新させてきたようです。
脳科学者である著者は、さらに「自分」とは脳の機能が生んだものとします。「自分」とか「私」は脳の中にあって、脳の働きが、自分というものを産み出します。「自分」とは、意識した「はたらき」つまり機能であるから、機能はモノのような実体ではありません。
「自分」が実体でなく機能とすると、「自分」は周りの情報をとりこみ適応しつつ変わっていきます。
本当の自分とか、自分に合った仕事とかにこだわったり、自分探しをするよりも、どう自分を創ったらいいのか、誰も分からないのだから、正解をもとめようとせずに、試行錯誤することが大事だと指摘します。
振り返ると、後から自分が創られた経験が、そこだったのかと思い当たるものだよ、と優しくおしえてくれているようです。