> 生きがい・働きがい > 60代になったとしても「自分の仕事が天職かどうか」なんて誰にも分らないのです。(出口治郎)

60代になったとしても「自分の仕事が天職かどうか」なんて誰にも分らないのです。(出口治郎)

<引用>

出口治郎「働く君に伝えたい「お金」の教養」(ポプラ社 2016年)

「僕のもとにも、よく大学生がやってきて「やりたい仕事が見つかりません」と嘆いて帰ります。でも、社会に出て働いたこともないのに、やりたいことがわかったら、そんなラクな話はありません。・・有名スポーツ選手のように小さいころからの夢をかなえるケースは、奇跡のようなもので、おそらく人口の0.01%にも満たないでしょう。」

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<考察>

やりがいのある仕事、やりたい仕事とは、どのように見つけたらいいのか、よくテーマとなります。

著者は、歴史上、はじめからやりがいのある仕事に就いて、そのままやりがいのある仕事を続けて、満足して死んでいった人が、いったいどれほどいたでしょうか?と問いかけます。周りの大人たちに、いまの仕事を選んだ動機を聞いてみると、「安定していると思ったから」「かっこういいから」はいいほうで、偶然や人に勧められたなど、たいした理由でないことも多いのが実際のようです。

まずは、衣食住が満たされるまでは、お金を優先して選り好みせずに働けばいいじゃないかとも主張します。働いてみないと、自分の適性は、自分でもよく分からないし、たとえ60代まで働いたとしても、本当に自分の天職だったかは誰にも分からずじまいが現実だよと経験を語ります。

そこそこやりたい仕事をやって、人生をたのしんで、一生懸命に生きることができたかは、他人が評価するものでなく、自分で判断すればいいのだから、心配するほどのことではない。むしろ、やりがいや自己実現の幻想にしばられ、せっかくのご縁があった仕事をないがしろにしてはいけないし、自分の可能性をきちんと実現できないと駄目だという思い込みの方が、未知の偶然を楽しんだり、出会いを遠ざけ飛躍のチャンスを手放してしまう恐れがありそうです。どんな仕事にもある良い面に、気づかないままやり過ごさしてしまわないように、素直な気持ちで仕事に向きあいたいと思います。