> 成功と幸福 > 願ったところにたどり着けない、あるいは願うものが手に入らなくても、「願い」がある限りその人は「幸福」になれるのです。(曹洞宗法林寺住職 千葉公慈)

願ったところにたどり着けない、あるいは願うものが手に入らなくても、「願い」がある限りその人は「幸福」になれるのです。(曹洞宗法林寺住職 千葉公慈)

<引用>

曹洞宗法林寺住職 千葉公慈「運がよくなる仏教の教え」(集英社 2016年)

「「幸福」は仏教からきた言葉です。「幸」という字には「願う」という意味がありますから、元来の幸福は福を願うという意味なんです。・・・「好きな人とおつき合いしたい」と思ったとき、それが叶うことを「幸福」と今はみんな思いますよね。でも本来は、「好きな人がいる」という状態がすでに「幸福」なのです。」

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<考察>

願いが叶ったときだけが、「幸福」ではないと本書は語ります。

人間は長い歴史の中で、つねに何かを願いつづけて発展してきました。現代のように、結果だけに価値を求めすぎていないか、よく考えてほしいと指摘されています。

「好きな人がいる」、あるいは「メールを交わせる人がいる」、ただそれだけで「幸福」なはずです。メールの返事が返ってこないだけでひどく落ち込んだり、逆に怒ったりする人もいるようですが、ほんとうは、相手が自分をどう思おうが、相手の価値をみとめて尊重して、願っているだけで「幸福」を感じられるものです。

「幸福」の意味として今使われている「恵まれて満足な状態」と、本来の「幸福」の意味が、ちがうと知ることは大切です。願いに心を馳せているとき、相手の幸せを願うだけで「幸福」な状態になると思います。