> 生きがい・働きがい > 自分を理解したい、向上させたいという願い、それだけでは、本物の「意味」を生む目標とならないのです。(ヴィクトール・フランクル)

自分を理解したい、向上させたいという願い、それだけでは、本物の「意味」を生む目標とならないのです。(ヴィクトール・フランクル)

<引用>

ヴィクトール・フランクル「夜と霧(新版)」(みすず書房 2002年)

「オーストリアの精神科医で、ナチスの強制収容所から生還したヴィクトール・フランクルの書。・・・フランクルは、人生において第一の課題は、どんな形であっても人生に「意味」を与えることと述べています。・・・自分がなぜ存在するかを知っていれば、どんな状況にも耐えられます。・・・しかし、権力や富、成功を願うような「偽物の価値」と「意味」を区別するようにと、くぎを刺しています。」

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<考察>

みずからの体験から、ナチス・ドイツの強制収容所でも生きることに「意味」を見いだせた人たちが、生き残る可能性が高かったと語ります。

それは、愛する人のもとへ生きて帰る強い願い、夢中になっていた計画をやり遂げたい熱意、誰かを助けたい思い。目的を持ったときの意思の力は、なにより強く私たちにやる気を起こさせる。ニーチェの言葉にあるように、「自分がなぜ存在するかを知っていれば、どんな状況にも耐えれるのだ」と。

「意味」とは、私たちの外側にあるものだと指摘します。自分の心の中にあるのでなく、外の世界で「意味」を見つけなくてはいけない。外的な要因や愛する人に尽くして、自分を忘れれば忘れるほど、自分の潜在能力を発揮できるといえるのではないか。自分への執着を手放すことに「意味」を見つけるのだ。著者は、最高の自分になることを、人生の目標にはできないと言っています。

自分の眠っている能力を発揮したいとか、自己理解を高めたい、限界を突破したいと願うだけでは不十分で、自分の外側に「意味」を見つける必要があると繰り返し述べます。自己の能力を実現するためには、まず、その自己実現を目標とすることを手放されなくてはならない。自分へのこだわりを完全に手放して、代わりに他人の幸せにつながるような「意味」をみつけなさいとフランクルは静かに語るのです。