> 経営哲学 > 人が考えてすることは、あまり面白くない。でも、なぜ人がそれを必要とするかには関心があります。(養老孟司)

人が考えてすることは、あまり面白くない。でも、なぜ人がそれを必要とするかには関心があります。(養老孟司)

<引用>

(p。4) 養老孟司 『希望とは自分が変わること』(新潮社 2014年)

「政治や経済が苦手なのは、どちらも所詮は、人が考えてやることだから。どうせ人のすることじゃないか。人について関心があるのは、無意識。解剖学であつかう身体は、無意識。本人の意識はない。意識は脳のはたらきだが、だれも脳で考えていると思わないね。脳は、たかが1,500グラム、それが「正しいのは私だ」と叫んでもどうかな。」

「原理原則を必要とする考え方そのものに関心はないが、なぜ人はそれを必要とするかには関心があります。」

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<考察>

養老 孟司(ようろう たけし)は、解剖学者。医学博士。東京大学名誉教。2003年に出版された『バカの壁』は419万部を記録し、戦後日本の歴代ベストセラー4位。

解剖学者の視点は、独特です。

戦前と戦後を生き抜いてきて、政治や社会の価値観が180度逆転した体験から、懐疑的に人間の意識をとらえて語っています。医学上の立場から、脳は簡単な衝撃で壊れてしまうし、脳の働きによる意識というものも不確かなもので、だって、眠るときは知らぬ間に意識がなくなるでしょう、意識が確固たるものといえないよ。体の何十兆個の細胞は、無くなっては産まれる繰り返しで流動的に保たれている「動的平衡」の状態であって、実体が一定なものでなく、つねに置き換わっている。私というものも、つねに変わっている。それでは私とは何か?・・・意識の領域から、無意識の領域に目線を移せば、実は無意識の方が大部分を占めていて、私たちは意識して存在している部分は限られているようです。

人間は受精卵0.2ミリから、食物を体に取り入れながら成長しきたのですから、今ある「身体」そのものは、自然からの巡り合わせで出来上がっています。「身体」は意識しないで機能していて、無意識ともいえるし、人間が意識できないものとして「自然」と捉えることもできます。自然は、まだまだ人間の理解を超えた存在で、分からないことばかりですから面白い。それに引き換え、人間の脳が考え出すものはどうなのか、意識しているものの限界という指摘も受け入れてもいいかもしれません。

しかし、人間が必要と考える根本的な関心については、意識を超えるものとして同様に興味深い対象でもあります。まだまだ、人智のおよばない世界に満ちた「身体」の声ない発信を、無意識かつ「自然」そのものとして聴くことによって、自分が変わっていって、そこから「希望」につながっていきます。脳の意識した捉え方ばかりにたよらずに、身体の奥深い変化に聴き耳をたてると、自分の発信している危険信号をとらえることができるように思います。意識を過信しないことが大切のようです。